想い出の花《バラ》~壺坂寺盲老人ホーム・匂いの花園~

今から50年くらい前、私は銀行員時代の同期入社の友人と一緒に、壺坂寺にあるという「盲人のみの老人ホーム」を訪問しました。そこには日本唯一の盲人のための花園が整備されていて、香り高い花々が四季を通じて咲いているとのことでした。ホームそのものの見学?は全く覚えていないのですが、そこに隣接していた花園は鮮やかな記憶として残っていました。

訪れたのは5月~6月頃で、園はバラの花が咲き誇っていました。今でこそあらゆる場所で庭園が整備され、バラでも菊でもチューリップからコスモスの群生まで、当時からすれば夢のような世界へ誰でもが自由に訪れることが出来ます。

でも・・・当時の公園に花があったでしょうか・・・子供のボール遊び場くらいで、お金のかかる花々の鑑賞は「どうぞご自身で」という「花より団子」、まだ貧しさから抜け出せない時代だった頃のことです。

小さな花園でしたがちょうどバラばかりが咲いていました。萎みかけた花でもそこは天国に違いありません。「想い出の花」を書くにあたりネットで「壺坂寺の盲老人ホームと庭園」を調べました。

素晴らしく立派な建物になり、あの小さな庭園に触れている部分はありませんでした。下記のような説明と立派な建物の写真が掲載されていました。もう、あのころの花園はすでに役目を終了したかのようでした。

「匂いの花園」鑑賞後、私達は近鉄の駅に行くのに山越えで歩いていくことにしました。

高取城跡を経由するその山道は、当然今と違い最初から最後まで(駅のそばに下りるまで)細く険しい道のみで、若い女性二人では心細い限りでした。でも途中わらびがたくさん生えている斜面に出くわし、それからは元気溌剌!二人でいっぱいのワラビを取りながらの山越えは、とても楽しい想い出となりました。

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参考:「擁護老人ホーム 慈母園」

令和3年6月18日に新築移転しました。

慈母園は、昭和36年に我が国で最初の盲老人ホームとして
吉野熊野の霊峰に連なる西国観音霊場「壷阪寺」の山内に開園しました。

昭和59年には、和風を基調とした3階建てのホームに全面改築。

そして創立60周年の令和3年6月、おなじ高取町内の清水谷に新築移転しました。
移転先は、小学校、医療機関、福祉施設が隣接する
「たかとり文教福祉ゾーン」にあり、アクセスも良好です。

すべての職員は、視覚障害者への専門的ケアの研修を受けています。~

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参考資料:「奈良の史跡と物語第18話」より「壺坂霊験記」

江戸時代の寛文(1661年~73年)の頃、盲目の沢市は、お里と壷阪寺の近くに所帯を持っていた。

三年ほどたったある日、毎晩外へ出かけるお里を激しく詰(なじ)った。
すると彼女の口から、沢市の眼が治るように毎晩壷阪の観音様に祈願しており、今夜が満願の夜であることを知らされた。

思いがけない事情に驚き、自分の疑心を恥じた沢市は、観音様に夜参りに出かけた。
二人が奥の道まで来た時、お里は数珠をとりに家に帰った。

その間に沢市はお里に苦労をかけるわが眼が憎く、思いあまって谷底に身を投げた。
それを知ったお里も夫の後を追った。
しばらくして気づくと沢市の眼は開き、くっきりとお里の顔が見えた。

この物語は明治の初め、浄瑠璃「壷坂霊験記」となって広く知られるようになった。

現在、壷阪寺には二人の像のほか、沢市の杖や物語の絵が残っている。

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高取城:標高の高い山城であるが近世の施設がある戦国時代以前の山城は山上の要害に築かれているが、近世になるにつれ小高い丘や平地の中心部に居城が移されることが多い。高取城のように山城のまま石垣、天守、櫓、門、殿舎まで築かれた例は少ない。火災や風雨、山上の不便さから、再築されることが少なかったからである。しかし、高取城は3代将軍家光より「一々言上に及ばず」という許可があり、それで江戸時代を通じて各建物の存続と完備ができたとしている。(写真は高取城跡からの眺望) ソフィア

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