椿は北に運ばれた!?

民俗学者の柳田国男の言葉、「椿は春の木」。これはラジオ放送の原稿のタイトルだそうですが、その中に「北国の椿の名所」が記されていて、柳田はその北国の椿の風景について「私は人が(椿を)持って行ったものではないか、と考えている」と語っているようです。人がツバキを「北の地」に持って行ったという説です。一般に言われているツバキは4種のうちの「ヤブツバキ」だそうで、本来は照葉樹林の一つであり、暖地に適応したものと考えられていますが、かなりの耐寒性があり、北は青森県まで分布しています。

■「人の手によってツバキが(北へ)運ばれた」という柳田国男の説の根拠には色々な事例があるようですが、私はその中の一つの話に非常に説得力を感じました。それは夏泊(なつどまり:青森)に残された伝説です。夏泊のとある浦の娘と、毎年そこへ南から渡ってくる船頭の悲恋物語。娘は都の女たちが黒髪に塗るという「椿油」を自分も使ってみたいから、来年来る時には「椿の実」を持ってきてほしいと、南へ帰る船頭にねだります。しかし、一年待っても二年待っても船頭は現れません。娘は、男が心変わりしたものと悲しみ、海に身を投げてしまいます。

■しかし、船頭は心変わりしたのではなく、事情があって船に乗れず、三年目に「椿の実」を持って夏泊に漕ぎ着きます。そして、娘の死を知って悲しみ、その墓の周りに泣きながら、携えてきた「椿の実」を撒いたといいます。それが芽生えて茂り、椿山になったという言い伝えです。

■この伝説は、昔、椿は北の地には無く、それが南から人の手によって運ばれてきた事を物語っています。では、本当に「女性の整髪料」としてだけの価値で、北の国へ運ばれたのでしょうか。千葉県や埼玉県に残る縄文遺跡では、ドングリやクルミなどと共にツバキの種子が出土しているようです。ツバキは古い時代から「食用」として、またその搾った油は灯油や火傷の薬としても利用されていたようです。柳田国男の説が正しいとすれば、何が目的で古代の人々は南から北へとツバキを運んだのかという理由は「生活への利用」と考えられます。

■これで、永年の素朴な疑問が解けた思いがします。ツバキには、中国でも日本でも古くから「霊力」が宿るとされています。寒い冬でも美しい花を咲かせるこの花の生命力が、人の目にはそのように映ったのでしょう。わが家にも小振りながらツバキの木があります。今朝、まだ蕾のその木にメジロがやってきました。もう少しすれば赤い花を今年も咲かせてくれるでしょう。ツバキは茶道で飾る花の定番です。花が咲いたら一輪、部屋に飾らせてもらおうと思います.

ツバキはツバキ科の常緑中木で、学名は “Camellia japonica” 。日本では、垣根や庭木としてポピュラーな花です。そのツバキの見ごろといえば「冬」というより「寒い時期」と答えたくなりますけど、この花には数千の種類があるといわれ、品種改良は現在でも行われています。ですから、「ツバキにも色々あるから…」なんて無粋な答えになりそうですが、まあ、「冬から春にかけて」と答えれば間違いではないはずです。ちなみに、ツバキに似ているサザンカですけど、どちらもツバキ科ツバキ属ですが、サザンカの見ごろといえば「冬」で間違いないでしょう。

■しかし、冬から春と開化の季節が長いツバキの中に「夏ツバキ」という花があるそうです。やはり原産地は日本で、ツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。樹高が10mにもなるそうです。ツバキの中には、早秋咲きといわれる9月~10月に咲き始める品種もあるようですけど、それと「夏ツバキ」は別物です。「夏ツバキ」の花期は6月~7月。ツバキの方は照葉樹林の代表的な樹木で常緑樹ですが、この「夏ツバキ」は落葉樹で、秋には紅葉し、冬にはすべての葉を落とすようです。別名を「シャラノキ」「サラノキ(沙羅の木、沙羅樹)」。直径5cmほどの白い5弁の花を咲かせ、朝に開き、夜には落ちてしまう一日花です。その様から、「儚さ」「無常観」「盛者必衰」といった心情を感じさせるのか、「沙羅の木」といった別称を持つのでしょう。

■「沙羅の木」は釈迦入滅の時、その傍らに咲いていた、インド原産の常緑高木樹、フタバガキ科の「サラソウジュ(沙羅双樹)」で、あの平家物語の冒頭で謡われています。しかし、「夏ツバキ」は「沙羅の木」とは呼ばれても、このインドの「サラソウジュ(沙羅双樹)」とは全くの別物で、こちらは日本に自生していません。「夏ツバキ」の花が「サラソウジュ」と似ていて、同じような季節に白い花を咲かせることから、この「夏ツバキ」を寺院などに植えたことから、「沙羅の木」と呼ばれるようになったのでしょう。

■ちなみに、夏に咲いて、その幹の皮が剥がれてツルツルとしていることから、「サルスベリ」と呼ぶ地方があるそうです。

■そして、あの明治の文豪、森鴎外はこの「夏ツバキ」を好んだようです。鴎外の詩に下記のようなものがあります。

褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に
白き花はたと落ちたり、
ありとしも青葉がくれに(もとの青の字は下が円)
見えざりしさらの木の花

根府川石とは、小田原市の根府川で産する板状節理の安山岩のことで、碑石や庭園用の材として使われていた石であるとのことです。その石の上に白い花が「はた」と落ち、落葉していく様のなかに、釈迦入滅の時に、その傍らに咲いていた沙羅双樹の姿を重ねていたのでしょうか。

■森鴎外にはガーデニングの趣味があり、自宅の庭で多くの植物を育てていたようです。文京区にある「森鴎外記念館」の庭には、「夏ツバキ(沙羅の木)」が植えられているそうです。明治という、あらゆるものが近代化という猛烈な時流の力で、抗いがたく姿を変えていく日本を、鴎外は「儚さ」「無常観」をもって眺めていたのでしょうか。「夏ツバキ」の姿に、そんな想いを感じてしまいます。

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