万葉の花々10~梅~

万葉の花々10《梅》

*「春されば まづ咲くやどの 梅の花

     ひとり見つつや 春日暮はるひくらさむ」

                   ~山上憶良やまのうえのおくら~

現代訳「春が来れば一番に咲く庭の梅の花を、ひとり眺めながら春の長い一日を過ごすのだろうか」

奈良時代を代表する有名な歌人で、家族への愛情や農民の姿など社会的な弱者を呼んだ歌を多く読んでいます。抒情的な感情表現が得意でこの歌も老年の歌でしょうか。巡ってきた春の季節、楽しみにしていた梅の花を一人で見ている老人の様子が浮かんできます。寂しくも一日を有意義に過ごそうとする気持ちが伝わってきます。

*「闇ならば うべも来さまじ 梅の花 咲ける月夜に 出でまさじとや」~紀女郎~

現代訳「梅の花の咲いているこの月夜の晩に、おいでにならないというのでしょうか、いえ、おいでなさってくださいね。」

この歌は女性が歌った歌で恋人を待っているのです。当時は通い婚だったので、男性が女性の家を訪れることが一般的だったようです。月の出ない闇夜なら恋人が来なくても仕方がありません。でも月夜で梅の花が咲いているこんな晩に恋人が来なかったら恨めしいです。逢いに来てくださいね、と恋人に対する期待感が込められているのです。

*「鶯の 鳴き散らすらむ 春の花 いつしか君と 手折りかざさむ」~大伴家持~

現代訳「ウグイスが鳴いては散らしているであろう春の花を、いつかあなたと手折って髪飾りにしたいと思います。」

この歌の作者、大伴家持は奈良時代の貴族で有名な歌人の一人です。この人物が万葉集の編集に関わったと言われています。家持は若くして父が亡くなり、家を背負うことになるのですが、恋多き人物でもあったようです。この歌は恋人のことを思っているのですが、春の花とは鶯が鳴いていることから梅の花だと思われます。春の情景に恋人を思うロマンチックな歌です。

*奈良時代の梅

万葉集で歌われた160種類以上の植物のうち、最も多く歌われているのが萩で、梅が登場する歌は二番目に多く、120首ほどあるようです。

梅は奈良時代に中国から九州大宰府だざいふにもたらされ、宮廷や豪族の邸宅に植えられたそうです。

漢詩の中で読んだことしかなく見たことのなかった梅の花。中国に留学した知識人が持ち帰った梅の木を植え、冬が終わり春の足音が聞こえ始める雪解けのころに可憐に咲いた梅の花を目にしたとき、感動もひとしおだったことでしょう。

大陸からもたらされ、初めは食用、薬用として、実を用いることが主だったという梅。その可憐な花(当時はおそらく一重の白い、小さな花だったと考えられているそうです)が、一年で一番寒い時期に咲くことで「春告草」とも呼ばれました。古代の人々は超常的な力を持つと考え、身に付けることでその活力にあやかろうとし、また、庭に植えることでその白い花の美しさを楽しむようになりました。

文字として一番古く梅の花が登場するのが、日本最古の歌集「万葉集」です。

720(天平2)年正月13日、大陸との玄関口、太宰府の長官・大伴旅人(おおとものたびと)=(家持のお父さんです)邸で梅花(ばいか)の宴(うたげ)が催されました。元号が「令和」と決まった時にあまりにも有名になった旅人の序は、「時に、初春の令月ににして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭ははい後の香を薫らす。=時あたかも新春のよき月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の5時薫りを漂わせている。」から始まり、参加者に「よろしく庭の梅をよんでいささかの歌を作ろうではないか」と呼びかけます。序に応える形で、32首の歌が続きます。

*「わが園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来(く)るかも」                                                         ~大伴旅人(主人)の歌~(万葉集巻五 822)

現代訳「わが庭に梅の花が散る。まるで、天涯(はるかな空)の果てから雪が流れ来るよ。」多くの人が「咲く梅」の美しさを歌った中で、「散る梅」の美しさを歌って、のちにも踏襲される風景となります。

ソフィア

 

 

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