万葉の花々(21)~あやめぐさ(ショウブ・菖蒲)~

 ほととぎす 厭(いと)ふ時なし あやめぐさ

   かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ

             巻十~一九五五

現代語訳:「ほととぎすよ。嫌な時などないが、同じ鳴くのならあやめぐさをかづらにする日に、ここを鳴いて通っていけ。」とほととぎすに話しかけている。

*「かづら」は、しなやかな植物の枝や蔓、あるいは紐状のものを鉢巻のように頭に巻いた髪飾りのこと。

『万葉集』の歌の中には、「あやめ」ではなく、すべて「あやめぐさ」として登場します。全部で11首に歌われていますが、1955番歌と4035番歌(「霍公鳥 いとふ時なし あやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ」)は重複していますから、実質的には10首の中で歌われています。そのうち短歌が3首で、長歌が7首です。長歌の方に多く詠まれており、これはかなり珍しいケースです。 結論から言うと、『万葉集』にでてくる「あやめぐさ」は、ショウブ(菖蒲)とするのが定説です。

たとえば、長らく万葉学会会長だった故伊藤博(筑波大学名誉教授)さんの『萬葉集釋注』の注釈には次のようにあります。 「菖蒲。水辺に群生するサトイモ科の多年草。初夏、黄色く小さな花をつける。根茎・葉などから香気を発し、それが邪気を除くとされた。」 では、何故「あやめぐさ」が菖蒲といえるのかということですが、上記の歌がヒントになります。この歌の意味は「霍公鳥よ いつ飛んできて鳴いたとしても嫌だということはない あやめぐさを かづらにする日には 必ずここを鳴いて渡っていっておくれ」です。

この場合の「かづら」はつる草のことではなく、上代、草木の枝や花などで作った髪飾りのことです(現在の頭髪のカツラの語源)。「かづら」は、それを付ける人の生命力を活性化してくれるという観念が万葉びとにはありました。これをタマフリの呪術といいます。ただ、「かづら」にするのは何でもよいというわけではなく、呪力をもった植物の方がよりいいわけです。

たとえば、葵がそうです。京都の賀茂神社の大祭、「葵祭り」は、葵の葉を「かづら」にするところから、その名があります。祭りの行列に連なる人は、みな葵の葉を「かづら」にしています。 そして、奈良時代には、ショウブにその呪力があると考えられていたのです。これはもともと中国から伝わった観念ですが、万葉の時代は中国へ倣えの時代でしたから、そうした考えが素直に受け入れられました。それから日本に古くからあった「かづら」にするという習俗と合体したわけです。

歌にある「あやめぐさ かづらにせむ日」は、旧暦5月5日。すなわち端午の節句、別名、菖蒲の節句です。『続日本紀』には、元正女帝が、5月5日に出仕する際には、官人はショウブを「かづら」にして来るように詔したという記録が残っています。 以上のようなことから、「あやめぐさ」は現在のアヤメやカキツバタではなく、ショウブであると言えるのです。それから念のために確認しておきますが、ハナショウブとショウブはまったく別の植物です。

『万葉集』には、「あやめぐさ」はありますが、「あやめ」とだけある歌がないので、はっきりアヤメと確認できる歌はないというしかありません。 それからさっきの「あやめぐさ」=「ショウブ」の定説ですが、 1955番歌の「あやめぐさ」の原文が「菖蒲」 4035番歌の「あやめぐさ」の原文が「安夜賣具左」 以上のようになっており、これからも「あやめぐさ」=「ショウブ」であることが分かります。

端午の節句のときにお風呂に入れる菖蒲は、5月から7月の初夏の季節に開花時期を迎えます。その花は、ガマの穂の形に似ており、薄黄緑色をしています。葉っぱが長いことや、同じ緑系の色をしていることから、遠くからだと中々見つけられません。しかし、香りはよいことから、近くを通ると先に香りに気づいて花が咲いているのを目にすることもあるようです。

「画像はWikipedia:ショウブ より」

ソフィア

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